毎年ハロウィンがきたら、今年もそろそろ終わりだなという気分になる。今年がよい年だったと思える人は世界中にいないと思うけれど、よくもわるくも何かのきっかけとなる年になったことは間違えないと思う。否が応でも何かが前に立ちはだかり、考えなくてはならないきっかけとなった。
人は自然から原材料を採取して加工するのに二酸化炭素を排出し、地球温暖化と大気汚染が進み、開発された自然の中から野生動物が拡散し、野生動物を宿主としていたウイルスとほ乳類が接触する機会が増え、それが原因となってパンデミックが起きて、そのことで人の活動が制限され、結局は文明が停滞する。自然は壊れるし文明も停滞となると、今までのやり方を続けることが誰の役にも立たないということに気づいてしまった。これまでの経験を踏まえて、この負の連鎖から脱却しながら進んでいくフェーズになった。
と、俯瞰的なことを考えながらも、普通の生活もタンタンと送り、十数年ぶりに強制終了のように出張もなくなり、じっくりと家で仕事をして普段できなかったことができたりもした。ちょっと身の回りがすっきりしたり、いらないものが多いと反省したり、キャンドルづくりをはじめたり etc… 掃除したり、洗濯したり、お食事をしたり、家族と話したり、ケンカしたりして、おそらく何千年前の人も今の人も家でやってることって変わっていないと思う。
時代や場所の区別なく、いつでもどこでも、5000年前のインドでも、「幸せに生きたい!」という気持ちは人類共通の変わらない願いだ。幸せで、できればツライことも極力避けられたら最高!と思っている。だからヨガの哲学も編み出されたし、テクノロジーも進化した。先人たちは頑張って文明を推し進めてきたのだか、ここにきて、サステイナブルなやり方をしないとうまく進んでいかないことが分かった。結局、自然と調和を持って共存して生きていくことが、幸せに生きることにつながるということだ。そもそも私たちも自然と同じ要素で地球上にあるもので形作られ、それは他の動物や植物とも一緒、地球も宇宙からできているものだから、生きているものも含めすべてのものは宇宙MADE。こうなってくるとヨガの世界観になる。私たち人間はマイクロコスモスで、マクロコスモスと同様の機能が備わっている、つまり私たち自身も自然そのもの。となると、自然とも共存、人同士も調和を持って共存していくことが、幸せに生きることにつながる。
世の中は5000年前とは様変わりしている。5000年前の人と現代の私たちはちがう生活をしている。使っているものはちがうし、仕事もちがうし、様々なことが変化して今に至っている。でも変わっていないことは、できるだけツライ思いをしないで、幸せに生きること。そのためのアプローチは、時代によって状況が変われば、手法が変わる。幸せになるためのヨガの最強ツール、マントラはパワフルだ!と言われても、現代人にはすぐにはピンときづらい。だってSPORTIFYやBAND CAMPで魂を揺さぶられるような音をいつでもどこでも聴けるし、自分でイフェクトをつけて素敵に唄うこともできるし、ライブの臨場感だってあるし、いつでも刺激的な音であふれている。でもライブもSPOTIFYもレコードもなく、照明もなくて太陽が沈めば灯がない時代の人たちにとって、みんなでマントラを唱えれば、身体にズンズンと響くし、自分の声が脳に響き渡りそれは刺激的でスペシャルな経験になっていたはず。しかも、最近の科学では、同じワードを繰り返し発することにメディテーション効果があり、心が鎮ることも解明されている。ヨガのアーサナだってそうだと思う。何千年も前の人は、車もないし飛行機もなく、すべて自分の身体を使って何かを行ってきた。その人たちにとってのアーサナと、様々な道具を使いこなして瞬時に遠くの国の人たちと情報共有でき、日々座ってばかりいる私たちにとってのアーサナは同じ感覚ではないはず。身体感覚もちがうはず。私たちは自分のハートビートを感じる繊細さがない人が多い、一方で昔の人であれば夜に動物の鳴き声や虫の声しか聞こえない中では、毎晩自分のハートビートが聞こえていたかもしれない。ここ数十年ですら違いがある。バブルでノリノリの時代には、ガッツリ動くヨガが流行り、大量の汗をかかなければヨガの効果はないと思われるような時代もあったし、みんなが情報過多でつかれている現代には静かなヨガに人気がある。ヨガはもともとバランサー、調和をとるためのツールだから、その日の調子や時代や年代によってピッタリくるものが変化してくると思う。やる手法が変わっても、目指すところが変わらないこと。いつだって最も大切なことは一見して分からない深いところにある。だからいつでもどんな状況でも大切なものを見ぬく力を養っていきたい。